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祖父の犯した責任が君の血に流れているとしたら、
祖父の成し遂げた功績もまた、君の血に流れている。
痛みを忘れるまでというが、いつになったら国は痛みを忘れるのだろうか。
ヤクザのような国がいつになったら集りをやめるというのだろうか。

博士、あなたは日本の謝ちといったが、本当にあやまちなのだろうか。
あなたの基本姿勢は、米国軍の第2次大戦後の裁判をそのまま引きずっているだけではないのか。
米国が勝者で日本が全ての責任を負っているという考えだ。


なるほど謝罪をすべきかどうかは、
加害者の世代、被害者の世代間でやるべきだ、という意見はごもっとも。

コミュニタリアンすなわち、自国に対しての義務や恩恵から優先度を上げるということに対して、「ひいきだ」という反論がある。
歴史的な道徳的議論をいかにするか。
世代を渡るのか。
罰金は?謝罪は?どの程度の「誠意」を示すべきなのか。

「謝罪」ってもののとらえ方の問題がある。
国家間で、「謝罪」(もしくは罰金も含む)があることで全てが終結するという共通認識が取られていれば良いはずだ。しかし中・韓国との間で日本が抱えている問題は、「謝罪」から新たな集りが発生することだ。それを出しに、追加的にさらなる謝罪、金、土地が引き出されることになる。

ならば、「謝罪」の前に事細かな取り決めをすべきであると考える。
この「謝罪」がいかな意味を示すのか。この「謝罪」で何が解決し、今後どのような問題が払しょくされることになるのか。
道徳だけでは、全てを解決しない。個々の人間でさえ異なる思想を持っているのだから、国家間ではなおさらだ。だからこそ取り決めが必要になろうと考える。

今朝の関口の番組でもやっていたが、ナショナリズムは今後どうあるべきなのだろうかという問い。
私は、忘れてはならないことだと考える。日本人のまずさの一つは、ナショナリズムを悪とみなしている点だ。過去の戦争にまつわるいくつかの事象については、様々な教育の在り方、思想の在り方で捻じ曲げられ、真実を見つけだすことのほうが困難になっている。しかしナショナリズムはそれだけの問題ではない。
我が国がどうあるべきかを考え、自分なりに何をしたらよいのかということを考え、動くことなのだと思う。真実を捻じ曲げて解釈し、無駄に騒ぎ立てることはナショナリズムではない。グローバリゼーションが進行しようがしまいが関係のないことだ。国家が一つになることは非常に難しいことである。
それは先の哲学の論争で示されたことだ。個々の国家、人間でさえ価値観は違い、同一国家内でさえ多様な意見が分散するほどである。
私の考えは、各国民は各国を基本的には優先するべきだということだ。等しく豊か(貧しく)、等しく同じ災いに見舞われた時、その行動こそが最も平等ではないかと思う。

酔いが回ってきた。稚拙すぎる議ではあったが、今後この問題を考えていくためにも、保存しておこう。
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