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初音ミクの特集が、テレビで取り上げられたらしく、その特集は結局「オタク批判」に終わり、さらにそれに批判の声が上がっている、というのがニュースに出ている。電車男以来だろうか、「オタク」というものが世に知られだし、マスコミは何かあれば紹介をしだしている。最近では麻生氏が立候補したときに、いろいろニュースになったりした。人によって「オタク」というものに対しての耐性というものは異なるのは、当然である。単純に引く者もいれば、関心を示すものもいるし、面白がってネタにするものもいる。テレビでのこういったものというのは、それにも当てはまるが、構成上やはり3番目の要素が強いのではないだろうか。だが、オタクに対しての一個人がとる反応と、巨大マスメディアであるテレビがとる対応を同一視は、当然出来ない。
ネタのインパクトを強めるために、どうしても鍛えられたオタクを扱わざるを得ないのだろう。そういった特集に嫌悪感を抱くが、止めろ、ということは出来ない。だが問題は視聴者の反応である。
一時期、少年犯罪というものがブーム的にニュースに取り上げられ、「少年犯罪が増加している」と、視聴者に刷り込んだことがあった。いや、そのようなことは今なお続いている。だがしかし、そんな根拠はどこにもない。ニュースにおける取扱時間の長さがそう錯覚させているだけなのである。しかし、気付かない人は騒ぎ立てる。その世論は国政を動かし、ついに少年法は改正され、より厳しくなっている。
数年前から続く幼女がらみの事件の犯人がいわゆる「オタク」であるという報道はよくされる。それからオタクに対しても風当たりが強くなっているもの事実である。オタク=ロリコンであり、その人間はまた現実との区別がついていないというレッテルが貼られる。ここで、オタク=奇奇怪怪な殺人犯という誤解が生じる。そんな中で、このように極度に強化されたオタクを取扱い、「おれの嫁」だのなんだのテレビで紹介すれば、こういった犯罪に錯覚を起こし真剣に考えている人たちの心中は穏やかではないだろう。18禁ゲーム、同人誌などの制限が入るかもしれないなどという法案も動いているとかいないとか。
騒ぎ立てるには大いに結構なのだが、不特定大多数に、多大な影響を及ぼすテレビというのは、その後の動向も考えるべきではないか。論理の飛躍かもしれないが、このような積み重ねを機に、秋葉原文化が制限されるような事態が起これば日本が誇るマンガ・アニメ文化は衰退の一途をたどるだろう。そしてまた、我々にもかされているのはその情報が真なのか、偽なのかという解釈と理解である。教科書問題での沖縄集会が実は全然人数が少なかったりなど、テレビや新聞、そしてインターネットに流れる情報がすべて真であるという認識は大きな間違いである。扇情的な情報、誇張表現ほど人はよく食いつく、ということを彼らは理解しているのだ。


11:58追記
任天堂がサポート打ち切るみたいで、その掲示板で明かされた任天堂の素晴らしき対応に感動した!
やっぱさすがゲームというものをこの世に流行らせたメーカーさんだ!子供に売る物であるということを至極心得てらっしゃる。もうほんとね、損しか生み出さないし、子供相手にそんなことやったって、当時はネットとかないからクチコミにもならないじゃない。それなのに、子供を思って、修理代取らなかったり、お手紙あげたりなんなりしていた任天堂は…(涙

と思ったが、考えてみれば昔っていろんなメーカーそういうことしてた気がする。昔、なんかでオマケ菓子にオマケが入ってなかったときはダンボールいっぱいにそのメーカーの(カバヤだったかな)のお菓子つめて送ってくれた。あれは本当にうれしかったし、ビックリした。そのほかにもいろんなメーカーがなんか不具合あると親切でプラスアルファな対応してくれた。今はどうなんだろう。もしなくなっちゃってたりしたら、少し寂しいよね。

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俺々
日本人の国民性というのは卑しいところがある。強きを笑い弱きを挫く、そんな報道を人々は好むのだ。特にオタクという人種は今飛躍的にその勢力を伸ばしつつある。既に国内外問わず日本の文化としてオタクは定着しつつある。文化が取って代わってしまう、それはオタクでない多数の人々にとっては脅威だ。何故なら文化は日本人としての自分を構成する上で重要なファクターであるからだ。植民地政策のように文化を奪われるということはなくとも少なくとも実質的な価値は失墜し、新たに標準となった文化を知らない自分は日本人として無教養な人間になってしまう(時代において行かれる)という恐れがあるからだ。一方オタクは非常に弱い立場でもある。内向的な性格の者が多く、また一般人との絶対数の差からその奇抜な振る舞いは目立ちまだ社会に馴染みきれてないと言える。人間は社会的な動物であって社会に不適合の者は群れで生活することができなくなる。社会、あるいは世間というべきか、という後ろ盾を持たない彼らは世間一般の視点で見れば弱者と言えよう。そのようにネットとリアルに象徴されるように極端な二面性を持つ彼らがマスメディアの格好の餌食になることは必然的なことであろう。そしてそれは何よりも国民が望んでいることなのである。
人間同士の交流が希薄になったといわれる昨今、俺はそれは人々が他人に無関心になったことによって起こった現象であると考えていた。しかしながら自分とは全く無関係な事件の報道にも執拗なまでに人々は食いついていく。報道が急変すれば聴衆の意見も面白いように一変する。交流が希薄になるというのは人との付き合いが少なくなるということではなくメディアを通すことで際限なく引き伸ばされることで人と人との関係が薄っぺらの形骸と化してしまったということなのだろう。直接対面して下すその人の評価は熟考を重ねての判断だがメディアを通して他人を評価する場合そこに思考の段階はない。政治家や芸能人に対しての評価は擬似的にとはいえ日頃から関係している故に比較的慎重な判断が下せる。だが全く交流のないオタクに対して下されたレッテル、それがメディアを通して希薄で無責任な関係が成り立っていることの証明ではないだろうか。我々の間に成り立ったこの希薄な関係性とどのように向き合っていけばよいのか。どんな物事とのいかな関係であれそれは真摯に付き合わねばならない。その関係上で下す判断は慎重になされねばならないと我々は・・・
な!なんだ!?魚飯ってなんだ!!?
2007/10/16(Tue)12:32:48 編集
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ロックマン、遊戯王、勇者シリーズ、はたまた政治なんかも時々取り上げる自分日記。行きついちゃった人は、記事検索してくれると思いのほか良い情報が手に入ることが…いや、ほとんどないはずです。
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